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執筆者の写真Miyu Kuroki

詩というもの

更新日:2022年3月2日





この頃、超ホットなことがあって何となく言いたいので書きます。


ポートフォリオを作るために過去のフィールドノートを整理していたらたくさんの詩のようなものが出てきました。(本気で忘れてた)

当時の私がフィールドワークの合間に書いていたようなのですが、その土地に出会った感動が素直に瑞々しく書き取られていて、超手前味噌ですがナカナカにいいのです。


記憶と記憶が結びついて一つになって、ごっちゃになって詩になっている感じがなんだか時系列の「情報」よりももっと人間の心の動きに近いものだな、と思います。

これが詩のちからなのでしょうか。


実は詩を書くことに苦手意識がありました。


というのも子どもの頃、暑中見舞いに育てているマリモの様子を書いていたところ母に「詩人か笑」とからかわれたです。(ひどい)


それから、なんとなく詩は私に不釣り合いなものだと思っていました。


だけれど詩と、詩のこころはもっと身近にあるものだと思います。


心に閉まってある大切な言葉も一編の詩のようなものではないでしょうか。


私は困ったことがあると決まって、


『困難は舟のようで恵みは海のごとし』

と胸の中で唱えます。


大切な人が教えてくれた大切な言葉です。


これも詩のようなものなのかな、と思ったり。


秋田の山並みと犠牲祭の供物の牛を見た記憶が重なって詩が生まれたり、子どもの私の心が大人の私と出会ったり、詩は時間も場所も自由に超えてしまうオソロシイものであると思います。言葉とはそれほどに鋭いものなのですね。

 



最近歌うことにハマっているのですが、詩も節をつけて歌ってみようかなと思ったり。(語り?)

浪曲的なものが出来たら面白いな。




という記事にもなりきらないような取り留めのないことでした。

でも、やりたいことがいろいろでてきた〜〜



くろき



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