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執筆者の写真Miyu Kuroki

紫づ子の…身の上。



こんにちは。コノワタ紫づ子デス。

今日は少し、私の身の上についてお話ししたいと思います。




マズ、わたくしの日記をご覧に入れます


 挟まれて、サンドウィッチの萎びたレタスみたいじゃない、きみ。どうにもやりきれない。

 生活と、目の前のゴタゴタとしたものに足を取られて、わたくしはこの世からオサラバすることもできないのだし、かといって息をするのも針を飲むように辛いのだし、まるで手も足も出ないような状態で、わたくしはがんじがらめの、おちゃらかホイと言ったような状態なのでした。

 一度、駅西銀座の薬局に決心して入って、炭酸水素ナトリウムを大量に求めようとしたことがあるのだけれど(オナラで死ぬためです)薬剤師に血相換えて止められて、なんだか夕飯までご馳走になって、帰り際に5000円の小遣いまでもらったものですから、馬鹿らしくてホルモン焼肉定食食って帰りました。

 そんなところで、わたくしはちゅうぶらりんで、いつでも便所の梁に、着物の腰紐で輪を拵えて、これを一つのお守りのようにして生き延びているのですけれど、如何せんこれを見ると、便所で死ぬのもなあ、と嫌になるものですから、そろそろ他の場所に拵え直さねばならぬのです。

 インドネシア語をやろうと思って、でも身近に、手頃な教室もないものですから、でも先達は何ごとにも欲しいものだし、と思って知人に連絡したら、丁度日本に暮らすインドネシア人の友人があると言って、紹介してもらったのです。現代の叡智、電話を使ってインドネシア語を教わることになったのですけれど、インドネシア語って、心をくすぐるよう。先生は技能実習生として日本にいる人なのですけれど、まるでビロードのように上品な声の男なのでした。


ーーああ、身罷るなら、この人のネクタイを用いたい。



そう思うのに、長い時間は掛かりませんでした。

わたくしはあの人が日本に持ってきた、たった一本のネクタイが欲しい。

わたくしは決心して、訳は言わずに、ネクタイが欲しいと電話で告げました。冬将軍の来た日でした。


ああ、あの人は、何を感じ取ったのだろう。きっと電話口で眉を顰めたのに違いない。



「いけない。君は、僕と一緒に歩みたいと思わないのか」


あの人は雪雲のように重い声で言いました。

しかしわたくしはこの感情の乱高下が耐え難い。息をするのは、たましいを生き炙られるかのよう。


泣いて、頼みました。


あの人はいけない、いけないと言って、電話を切ってそれっきり。


そのとき、私とあの人の太陽と月のような、命懸けのレースが火蓋を切ったのです。


しかしながらあの人の住んでいる場所も、本当の名前さえ知りません。(私はただ、先生とお呼びしておりました)

ただ一つ、確かな情報を掴みました。

あの人はマダコ的生存技能習得者だったのです。


あ!

あの人が「いけない、いけない」とヌルヌル逃げたのも、掴みどころのない人柄も、マダコ的生存技能のなす技だったのか!!!!


ヤラレタ!という気さえして、もはや痛快でありました。


今、わたくしはマダコ的生存技能実習生となりました。

マダコ的生存技能実習生になればあの人の消息が、何か掴めると思うからです。


たまたま、マダコ的生存技能実習生として実習に行った地はタコの名産地で、港には使い古された蛸壺が積まれてよく乾いておりました。土産物屋の軒先に干しダコがヒラヒラしておりました。そして師匠のNさんは、タコの刺身が嫌いなのです。


なんだかわたくしの文章まで、ヌルヌルとマダコ的になってきたような。


この文章を、マダコ的生存技能習得者のかたが読んでいるのかもしれない、かつて先生と呼ばれていた時があったのかもしれない。



あなたのタンスからネクタイが消えていたりして……




ごきげん麗しゅう



コノワタ紫づ子(聞き書き 黒木美佑)

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