滞在しているギャラリーの食卓で昨夜、みんなでカードゲームをした。
明るい裸電球に照らされる顔はみんな若くて、二十才の半ばほど。
歌って、お酒を呑んで、ちょっと深刻な顔をしてみたり。
電球に、キラキラと照る瞳の底に、シベリアのことをふっと思った。
シベリアの荒野、吹雪の中を古コート一枚で震えている幾千幾万の瞳。
私たちみたいな、若い瞳もあっただろう、歳を重ねた瞳もあるだろう。
私の曽祖父はシベリア抑留者だった。
生きて還ってきたきれども、故郷で戦病死した私のひいおじいさん。
なんで今、このことを思うのだろう。
70歳を過ぎた私のおばあちゃんが、ふっと「お父さんがおったなら。私も高校へ行けたのに」
と語ったあの時。
万歳、万歳、と送り出された、幾万の人々。
死ぬのは怖かったか。
死にたくない気持ちで出征して行った人、なかには、死んじゃいたい気持ちでいた人もいたんじゃないか。
私はいつでも、「何者かになりたい」
そんな気持ちでいる若者が約80年前にもいて、
そこに「お国の為に尽くす」という大きな目標というか、「自分が生まれ、生きている意味」を与えられたことが一つの人生の綱になったのではないか。
誇らしく散っていった人たち、
本当は死にたくなかった人たち。
戦時中、あんなに誇らしく散れよとの歌が作られ、ラジオから、街角から延々と流れては口ずさまれていたはずなのに、終戦を迎えてからの歌はガラリと違う。
帰りたい、生きたい。
離れ来た大切な人に会いたい。
あの時戦争に断たれてしまった夢の悔しさ。
そんな気持ちが焼跡から歌われて、流行歌となった。
今夜赤い顔で破顔するこの九人の若い顔、札を切るみずみずしい手。
ほんの数十年前の若者はおんなじ顔で、おんなじ手で銃を持ち、荒野の果てを凝視していたのか。
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