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執筆者の写真Miyu Kuroki

カードを切った夜のこと

更新日:2021年11月30日

滞在しているギャラリーの食卓で昨夜、みんなでカードゲームをした。

明るい裸電球に照らされる顔はみんな若くて、二十才の半ばほど。


歌って、お酒を呑んで、ちょっと深刻な顔をしてみたり。


電球に、キラキラと照る瞳の底に、シベリアのことをふっと思った。


シベリアの荒野、吹雪の中を古コート一枚で震えている幾千幾万の瞳。

私たちみたいな、若い瞳もあっただろう、歳を重ねた瞳もあるだろう。





私の曽祖父はシベリア抑留者だった。

生きて還ってきたきれども、故郷で戦病死した私のひいおじいさん。

なんで今、このことを思うのだろう。


70歳を過ぎた私のおばあちゃんが、ふっと「お父さんがおったなら。私も高校へ行けたのに」

と語ったあの時。


万歳、万歳、と送り出された、幾万の人々。


死ぬのは怖かったか。

死にたくない気持ちで出征して行った人、なかには、死んじゃいたい気持ちでいた人もいたんじゃないか。




私はいつでも、「何者かになりたい」


そんな気持ちでいる若者が約80年前にもいて、

そこに「お国の為に尽くす」という大きな目標というか、「自分が生まれ、生きている意味」を与えられたことが一つの人生の綱になったのではないか。


誇らしく散っていった人たち、

本当は死にたくなかった人たち。


戦時中、あんなに誇らしく散れよとの歌が作られ、ラジオから、街角から延々と流れては口ずさまれていたはずなのに、終戦を迎えてからの歌はガラリと違う。


帰りたい、生きたい。

離れ来た大切な人に会いたい。

あの時戦争に断たれてしまった夢の悔しさ。


そんな気持ちが焼跡から歌われて、流行歌となった。




今夜赤い顔で破顔するこの九人の若い顔、札を切るみずみずしい手。

ほんの数十年前の若者はおんなじ顔で、おんなじ手で銃を持ち、荒野の果てを凝視していたのか。

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