top of page
執筆者の写真Miyu Kuroki

窓ひらく部屋で



こんにちは。LOCOです。

寒さはどこへ逃げていったやら、すっかり日差しがやわらかになりました。みなさまお元気でしょうか。


一週間前、春の靴を新調したのですが、新しく硬かった靴もすっかり足に馴染みました。

同時に、級友のいない秋田にもすっかり慣れつつある私がいます。


なんだか、すべてがうそみたい。


ただ生々しく現在の感情がふつふつと胸にあるばかりで、流れていく時間は水のようにさっぱりとしています。だけれど、それでいいのかもしれません。


作家の林芙美子が広島県の因島を訪れた際、島の人々との別れに耐えかねて

船室で嘆き悲しんでいたという話を井伏鱒二が書き残しているのを読んだことがあります。



この時に発した林芙美子の言葉から、井伏鱒二は「サヨナラだけが人生だ」という有名な一説を書いたそうです。


そのあきらめというか、しかし、納豆のように粘っこい人間の未練を受け入れざるを得ない生のかなしみというものだろうか、そういったものがじんわりと胸に染み入ってなんだか寂しい気持ちです。


このごろ、「人間の本質は鬼である」という言葉に慄然としています。私もまさしく、その通りだから。


有りもしない桃源郷を求めて、求めて、敗れることは知っているけれども、幸福の糸を張り巡らさざるにはいられないニンゲンの業の深さのようなものを、ボンヤリ思います。

幸福を求めて足蹴にされに行進するような日々なのかもしれません。


苦い日々(辛いではない)をちょっと幸福にするような、ちょっとアホになれるような、そんなものが欲しい。



私たちが冗談を飛ばしたり、笑い合うことに幸福を感じるのは、厳寒の夜に当たる火のようなものなのかもしれません。


いいものを書くには、生み出すには、私自身もっと苦しむべきだと直感が察知しているのです。




春からの新たな生活。私は幸福を求めて、なじられ打たれるために行進してゆかなければならない。

春のひざしがぬるい。部屋がぱっと明るい。その幸福があるだけで、私は勇んで生きて行ける気持ちがします。

閲覧数:6回0件のコメント

Comments


bottom of page