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白鳥の越境について

夜の橋の上で、波立つ川面に目を滑らせていると、岸と木々のシルエットの際で薄ぼんやりと白いSが浮かんでいた。

まさかと自転車を漕ぐ足が止まる。

思い出したのは川辺が祝福されたように華やぐ季節に、一羽取り残されて泳ぐ白鳥だった。花が散り、茹だる夏を今越えたのだろうか。


白鳥がこちらに気がついたように見えた。思わずペダルを踏んで、視線ごと振り切る。


それがまだ夜に日中の気温の名残のある頃だった。 いつの間にか10月も半ばを過ぎて、冷えた足先を布団の中で擦り合わせる。時々ひどい風と雨のバラバラ降る日だった。頭まで被った毛布の向こう側で反復した響きがあって、初めは雨の音だと思った。


そしてすぐに違うと分かった。

脳裏に白鳥の群れを見た。


陽も差ささない気の滅入るような長く鈍重な冬。そんな日々でもすべてを忘れさせるような表情をした空の瞬間があって、その空を過ぎって何十羽もの白鳥が、ケエケエエと雪に沈黙したまちに異様なほどよく響き渡って空気を震わしていた。


北へと飛んでゆく、彼らにはもう暖かい時期だった。 


だから違う、とはたと気づいた、やっぱりいつかのあの白鳥は、夏を越えたはずがない。今年も南下してきた群れに先立って、別の白鳥が1羽だけ着水していただけだ。ぼんやりと夜の水面に光りながら、仲間が来るのをじっと待っていたのだ。

また鳴き声が聞こえた。風雨の中でさっきよりもさざめくように、遠くに聞こえた。 わたしは暗闇に身を潜めたまま、花の散る川面をいかにもうろうろと泳ぐ、一匹の白鳥を思い出す。自分よりも全く小さな水鳥にさえ親しみ深く、乞うように、首を動かしては挨拶していたあの白い鳥を。



紅葉を眺めながら川沿いの道を歩く。よく晴れた午後だった。

いつか花びらが降りしきった道に秋の陽が差して、黄色の葉がやわらかに光る。

川のうねりに合わせて歩いていくと、木々の向こうに抜ける景色が見えた。

そこには白鳥がいた。たった一羽でいた。

相変わらず美しく首をもたげて白く光っていた。本当は、ずっといたのかもしれないとふと思った。


花が散り茹だる夏を超えて、色付く葉を見上げながら、うねる川面を行来して。


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