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執筆者の写真中村邦生

生活の知恵?知技?

箱をもらった。梱包用の。

なんだ。ふしぎな流れだナ。

この材はまさしく、インドネシアで制作をしたときに使ったものと同じ。

インドネシアでもらったものも、輸送用の箱で、こんな箱の状態でもらった。

最近、作業場を作るのにもいくつか使っている。

マァ、こんなものは、どこの人だってやっているようなものだ。

ただ木材組み合わせるだけ。

現地で手に入るもの、を使って作った現地のものだが、別にそれだけのこと。


どうにもしっくりこないまま使っている。作っている。


もう一つ別の話を。


僕はここ1年くらい、ゼラニウムくんをもらったので育てている。

植木鉢は、市販のものではなく、たまたま僕の家が虫だらけなので毎日使っていた蚊取り線香を切らした、缶だ。適当に底に穴をあけて使っている。それだけ。

最近大きくなり過ぎてきたので、その辺の木でなんぼか大きい鉢?を作った。

デカ過ぎた。


いや、実に何でもないものだ。ただ、その辺にあったから作った。

机がない時は作るし、本棚が欲しかったら作る。買う時は買う。

メモ紙がなけりゃ手に書く。えんぴつがなけりゃ爪でしるしをつける。


これは、ひどくなじんだ生活の知識技術だ。



そんな知識だの知恵だのっていうほど大したことかネェ〜〜?


インドネシアに行った時、現地の人々が使っているもの、ほんの些細な創意工夫だって僕たちはものめずらしがって、スゲー!とワクワクした。が、当の本人たちからするとどちらかというと、クエスチョンマークというか、なんでもない風である。そう見えるのね、的な(そこについてしっかりコミュニケーションを取れていたかはわからないが)。


前も書いたナ。やっぱり、生活している人からすると、なんでもないことなのだ。

サバイバルしているなんて気持ちだってあるかすら怪しい。



秋田で、久しぶりのメンツで集まってなんかやるワケで、会期も迫ってきて、話も多少なりともしてきている。

なんだか、えらく肩に力が入ってきているというか、妙な気負い感というか。

ついつい頭でっかちで、結局は超いわゆる展示の方をやりにいってないか。

ヤりにいってないかナと。


あくまでも、サバイバルだとか、自給自足だとか、アーティストだとか、難民だとか、生活の知恵だとかってのは、外からそれを見た時に発生する言葉。

そこを意識思考するあまりに自分の生活が止まっていないかナ。

うまくまとめようとしていないか。

ここのサイトに記事を書く時だって、かっこつけようとしてないか。


ちがーーーう!

もっと、ぐちゃぐちゃだ。まとめきれないもの。


純粋にやりゃ、そうなるはずなんだス。

サバイバルしよう!ってしてる時点でもうしてない。

それよりも、己のサバイバルってのはなんなんだ。そんな感覚。


思考するなってことじゃなく。外側からの視点で考えていき過ぎていたんじゃないかなって

どうにも。モヤって仕方ない。

馬鹿になろうよ、やりたいことやろうよ、人生謳歌イエ〜!でもない。



精神論ばっかり!やんなっちゃう!

手、動かすよ〜ん



くにゃお



閲覧数:21回2件のコメント

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2 opmerkingen


最後の最後で綺麗にまとめて結局「いわゆる展示」になるパターンあるよね。怖い。もうちょい遊びにいこかな。

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中村邦生
中村邦生
10 nov. 2021
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そういうとこに当てつけてやろうと盛り上がって、ポスターもそこまでやって前フリめちゃいいだけに、怖さが強いですね。

そう、遊びましょう。

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