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生活のチギ




僕はよく、町にたまにいる、車庫の中にたくさん工具を持ってキレイに整頓し、自分でなんでも作ったり直したりしちゃうおじさん、みたいな人間。そういう側でありたいと言う。

別にわざわざアーティストとして、とか、作家だ!と声を大にしているわけでもなく、ある意味”勝手に”やっている人。僕はそういうものに出会ったとき、やっぱりコレだよナ。的な気持ちになる。


結局、その行為が生活の活動の一部として成り立っている場合、わざわざ主張しない。する人もいるけど。作ることが、創作することが自分の生活に根ざしていると、別段特別なことではないからだ。


今回の展示では、あくまでもそっち寄り、それぞれひとりの人間が、ただ、作りたいとか、何かサバイバルする必要があったから動く。ただそれだけのこと。そんなモチベーションを大切にしようとしている。

かたや、美術を学んだとされる美術大学在学生・卒業生が告知をして、いわゆる展示をする。すっかりどう見せるか、どうみられるか、なんてことを考えている。矛盾だ。


僕は、服部文祥さんという人間が好きだ。サバイバル登山なるもので有名だ。山登りとして一流の能力がありながら、日本のいわゆる登山道ではない道をかき分け進み、狩猟採集しながら山を進む。

服部さんも若い頃は有名な山に登って、平たく言うとすごくなりたい、みたいな気持ちがあって、登山家にとって栄誉あるらしいK2登山まで行ったそうだ。その時にも、自分はわざわざ飛行機に乗って準備万端で日本を出てパキスタンまでいったが、かたやガイドの地元民たちは軽装で、なんでもないような様子だったそう。そこで服部さんは、なんだか違和感を感じた。地元の人間からすると、その山との生活はごく日常で、なんでもないものだ。そこに重装備の日本人がやってきて山に登り、やったぞ〜!という構図に。

その後旅をしていてもその違和感はずっとあったそうだ。外の人間からすると物珍しい、こんな生活をしているのか!すごい!ということも、現地の人からするとごく日常。生活でしかない。

狩猟生活をして山を生きる人たちからすると、自分で銃を打ち、獲物をさばき、焚き火をして眠ることは生きること、それでしかないのだ。

以来ずっと、自給の暮らしを目指し、実行し、山に入ってはサバイバルしている。


服部さんの話になってしまった。スミマセン。

稚拙な文章でざっと解説してしまいました、いつかまたしっかりと書きたい。


何かとても近いものをいつも感じるのでス。その土地に行って展示すること、町のガレージ改造おじさん側でいたいと思いながら”アートをやるもの”としていわゆる展示をすること。違和感だ。


もやもやしながら、でも、素直に。自分の生活動に潜むエネルギーみたいなものを、あざとくなってしまいながらも、なるたけひねくれないで、純粋に展開したい。


でも、ただやりたかったからやったんです!デン!思考を放棄してしまったことを、妥協したことを言い訳する純粋さ、みたいなのは好みではない。作ること、生活することを自分なりに頭を悩ませてこそサバイバル。そんなものが出てきて欲しい。僕らの生活のチギを。



くにお



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