出会いとは、輪をチョキリと断つようなものだと思う。それぞれに存在していた時間がふいに切り展かれて、一本の線になってしまう。永遠であった時間が、有限になってしまう。手垢のついたような言葉だけれども、出会うことは一つの残酷だと思う。
それでも出会ってしまう。今日とて出会ってしまう。帰り道「コロッケ」の四文字が目に入って、ふっと小さな肉屋のコロッケが欲しくなる。食べる。そうすると、コロッケはいつの間にかもう手の内から消えて無くなってしまうのだ。私は初めから、コロッケの四文字など見なければよかったと後悔する。だけれども私たちは、出会わずにはいられない宿命のうちにあるのかも知れない。
取材をしたいと思っていた。ご厚意から、ある人とご一緒できることになった。その人の労苦を、朗らかな喜びを、何よりも彼の直面する世界自体を見てみたいと思った。彼はインドネシアから来た技能実習生だった。この人といるとき、私はだまっていると(ちょっと喋っても)「日本人」らしくないのかも知れない。
「日本人」としての私が見るこの町と、技能実習生の見るこの町はちょっと違うのかも知れないと思うときもある。会計の後、袋代の三円を彼が追加で払うとき、先にカゴを持とうとした私に大声で「三円‼︎」と叫んだ店員さんもいるのだし、彼に接する時の人たちは、「日本人としての私」となんだか違う、と思うときもある。だけれどそれは、「日本語を話す日本人のヨソ者の私」にとっての「無礼」であって、例えば、彼の時だけ大声のタメ口で話す店員さんだって、彼と顔見知りであるだとか、何か関係性があるのかも知れないし、「外国人」である彼にわかりやすい日本語を話そうと努めているのかも知れない。この町の港通りは美しく舗装されていて、洒落たカフェや美しいホテルが整然と並んでいるのだけれども、港通りを抜けて町の中心にやって来ると大きな主幹道路沿いに郊外風景が広がっている。海岸線には大きな工場があって、コンビニと、ドラックストアと、なんでも売ってるスーパーマーケットがある。そして、行き交う人には外国人も多い。彼は時折、すれ違う外国人に挨拶をする。鮮やかなジャワ語で呼びかける時もある。関係性はさまざまで、インドネシアの日本語学校時代からの友人もあれば、この町でたまたま出会った同郷人であることもある。フィリピン出身の知人とは日本語の挨拶とともにお辞儀を交わす。すれ違った後、「あの人も実習生」と教えられることは多い。
美しい港通りに差し掛かると、「外国人」の姿はめっきり少なくなる気がする。端正な、洒落た通りは生活の匂いからちょっと遠ざかって、道ゆく人もカメラを携えてさっぱりとした旅装の人が多い。ちょっと、おしろいをつけた町の顔という感じである。
技能実習生に取材をしていると、実習生の「ノンクロンスポット」と呼びたいような場所をいくつか発見する。「ノンクロン」とはインドネシアの言葉で「たむろする、道端などに溜まっておしゃべりをする」という意味なのだけれども、彼は本当に「ノンクロン」が好きだ。お気に入りのノンクロンスポットは港や主幹道路沿いのコンビニのベンチで、特にこのコンビニのベンチは技能実習生の「社交の場」とも言えるような場である。ここにいれば知り合いが顔を出すこともあるのだし、隣のベンチから母国語が聞こえれば、たとえ初対面でも話が弾む。このベンチで出会った友人もいる。
彼は「この町の人」なのか、まだ分からない。彼は一年以上この町に住んでいるのだけれども、この地域で根強い人気を誇る野球チームを知らない。町を行けば、頻繁にこの野球チームの帽子を被っている人も見かけるのだし、食堂にも街角にもスーパーにも、このチームにまつわるものが溢れている。だけれど彼には「見えていない」。同じくして、この地域の人たちや私たちに技能実習生は見えているのだろうか。
出会うということは一つの残酷で、そして面白い。この町では、小さな祠を頻繁に見かける。住宅のひしめく路地で大切に祀られている祠を目にすることも多いのだし、海で祀られているお地蔵様や、小さなお社も多い。そしてこの町で、彼はイスラームの信仰を持って暮らしている。時には技能実習生の仲間内で断食明けを祝うこともあるし、食品を選ぶ際にはハラルを気にしている。その一方で、お稲荷様をお清めすることもある。のどかなこの町に演歌の節回しを彷彿とさせるインドネシア歌謡が響いているのもちょっとヘンで、だけれど不思議にしっくりときて、この町とインドネシアだって昔から海で繋がっているものなのだし、今「出会った残酷」をばかり私は考えているけれども、もしかするともう既に、気が付かぬうちに私たちは出会ってしまっているものなのかも知れない。
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