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執筆者の写真中村邦生

僕のつくるかんじ

僕はインドネシアに行って以来、何かをつくる時には何かしらのストーリーを考えてから手をつける。それも、完全作り話でもなく、どこかには現実の根拠なり原因を、どこかには飛躍した内容を混ぜたものにしている。あんまし背伸びしていない具合に。民話とか童話とか、そんな距離感のフィクション。まぁ理屈っぽくいえば、ですが。 そんなめんどくさいことは後付けでス。



これは、昨年7月頃にオルタナスのプレ展示をさせてもらった時の写真。


ストーリーとしては、神様とも言わない、人ではないものが来るための舞台、巣のようなものを僕が作り、そこに風狂師だか風の神様だかナンダカがやってきてそこに憑く。

ざーっくりはこんな感じ。ハタから見れば、中村邦生がなんかやってる、ってとこなんですが、こちらとしては2人?内包しているってナワケです。そいつを、風狂師な〜〜んぞ呼んでいるワケ。



ものを作るときに考えるのは、たかだか何回かやってきた、いわゆる自分ぽい作品フォーマットに逃げたくないってことです。前やったことと似たような形をとるにしても、毎回何かしらの必然性を持って作りたい。というかそうでないとモヤモヤしてしまうんですナ。モヤモヤも大事だけど。

無理にハメに、やりにいきたくないってこと。なるたけ自然発生的に、何かが出てきて欲しい。

そう考えながら試行錯誤していくといい具合になってくれたりもするんです。



ということで、今までは、その風狂師さんが家(場所)に憑く、棲み憑くってのをストーリーとしていたんですが、どうにもハマりきらない感じがしてるんです。前までは、現実に、家がないとか、自分の居場所がないとか、そういう冒頭でも話した現実の根拠、現実感みたいなのがあったんですが、今回はそこではない。自分の居住空間とか住むこととか、そういうことに対してのフラストレーションではない。

何か別なこと由来の制作動機(あんまり好きな言葉ではない)があるんだろうな、と感じているんですナ。きっと、LOCOで話してきたような内容のどこかに要素はあります。まだしっかり言語化できないですが。


今考えているストーリーはこんな感じ。

今回は、参加者それぞれが、何かしら生活に対しての職能を持ったキャラクターとして存在する。

それも、それぞれがこれまでの、現在の生活で感じた現実感や現実の根拠に由来する半フィクションのようなキャラクターだと思う(なんでもスピーカーにして売っている人、土に取り憑かれた人、街頭演歌を歌う人・・・)。そんな奴らが集まってゲートを作ろう、いや、祭りみてーなものをやろう。


その中で僕はきっと、風狂師の1人のほうの要素、何かがやってくるための装置作りの人間として出てくる気がする。なんだろう、風狂師の片方が神様的な、パフォーマンスをするものならもう一人は設計士のような。設計士の方が今回はわりかししっくりくる。今のところ。書いてて少しワクワクしてきた。

ってことで彼なりに設計図?構想ドローイングを描いている。ようである。(誰目線かわからなくなってくる)



文章を書いたり、会話をしていくなかで、それを的確に表現する言葉がないためにひどくモヤモヤというか曖昧な言葉を並べた文になってしまう。

こういうとき、モヤモヤとワクワクが混在して、具合がいい。

まだ作られていない言葉とか、表現に出会えたような気がするから。

知識不足で出会えてないってだけかもしれない。それもいい。


僕としては、このありあわせの言葉で、何かはわからないけどある何か、表現したい何かを表現する感覚が、インドネシアに行って、あまりにも拙い英語で自分の意思を伝えようとしたあの感覚に近い。

等身大で、自分の体と脳みそひとつでひもを引いていく感じ。こんくらいの、生きている感覚がいい。

寒い秋田の真冬に車の中で縮こまって夜を超える感覚とか。そんな感じ。


そんな感じ。感じすぎ。



くにお

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