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執筆者の写真フウヤ シバタ

ダブ“dub”

ディレイと聞くとぐわんぐわんに反響しまくっているジャマイカ発の音楽“ダブ”を思い浮かべる。


レゲエが生み出した画期的な音楽手法ダブ“dub”、少し説明します。

1970年代初頭、カリブ海にぽつんと浮かぶ国ジャマイカでは、レゲエがジャマイカ音楽の代名詞となる。リズム、演奏、メッセージともにレゲエのフォーマットが確立され、世界に進出していった。

その初期のレゲエの大半を自宅につくったヴォイシングとトラックダウン専用のスタジオでミキシングしていたのがキングタビー。彼はもともと電気技師であり、移動式野外ディスコの運営かたわら、音楽レーベルのオーナー、音楽プロデュース、曲の完成を手助けするエンジニアまで手がける。その中で彼は、ヴォーカル・ギター・ベースなどにそれぞれ独立したトラックを割り当てるマルチトラック方式で録音された演奏が、楽器(音)ごとに後から多様な細工ができることを発見した。

マルチレコーディングされたそれぞれの音から任意の音を消し、あるいは残し、リバーブ、ディレイなど残響を加えたり、音を複製/遅延させるエフェクトを施すことで、元の演奏の調和をぶっ壊して別のモノに作り変えた。それがダブ。

例えば、ボーカルを無音にしてリズムトラックのみにしてみる。んで、ギターにディレイをかけてみる。ドラムを引っ込めたときに急にボーカルを出してみよう。いやドラムにはリバーブかけて高音を強調してみよう。こんなのがダブ。こんなの↓



そんな音楽は一般的なパーティーにはとてもじゃないけど合わない。

そりゃボワンボワンと鳴り響くボーカルや歪みまくったベースの低音では、若者はノれるはずもない。

スタジオに篭ったアーティストの狂気に満ちた創意工夫は結果としてとても内向きなものとなった。

けれども、一般的な音楽にまとわりつくお金の匂いを感じさせないアート的なものではある。


僕はダブを目まぐるしい現代の生活における薬として扱う。

柔らかい椅子に座って窓から外を眺めながらダブを聴いていると、全く他のことを考えたりしなくなってくる。本を読みながらやドライブのBGMとして聴いている分には心地よさを感じれる。ただ音に向き合うと、ディレイされたギターの音を追っていたり、急に飛び出してくるボーカルにびっくりしたり、歪みをきかせたベースの音にヘロイン中毒者のように身体を揺らしているだけの人間になる。近所迷惑かなとか祖母に返すお金ないなみたいな邪念が全くなくなる感覚がある。


これは瞑想に似た体験をしているなと思い、精神活動的に良い気がするのでたまに一人でやっている。

音の反響効果の連続が、ある種トリップのような自分の脳内に吸い込まれていく感覚(他者・外とコミニュケーションを取れるような状態ではない)をもたらす、と仮説を立てることにした。

なので、反響効果は瞑想とかヨガとか禅とかそういった類の体験に良い効果をもたらしそうだなと。



【余談】今『良い効果』と書いたけど、この感覚ってタ○マ吸ったときに引き起こしたバッドトリップにとても似てる気がする。自分のアタマの中でどんどん色々考えすぎて、周りにいる人たちの会話が遠くで起こっている気がして、話しかけられてもすぐに反応できないし、自分の発した言葉に対しても心配がったり、脳内動きすぎて我に帰る時間も1秒くらいしか無理で、ほんとに外とのコミニュケーションが全く無理になっちゃうあの感じ。いまだにたまにトラウマとして目の前に現れるあの感じ。説明するのが難しすぎるのでここらでやめときます。

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