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執筆者の写真フウヤ シバタ

スピーカーを解体しながら、

なぜスピーカーを作るのか、なぜ既存のスピーカーを解体して音が出る部分とそこから入力機器に繋ぐソケットとコードを取り出したものと0円で集めてきた不用品を構成して新たにスピーカーを作るのか、考えたい。というか、何か納得する理由を出さないとモヤモヤする。

スピーカーがものとして好きなのは、置いておいて。



まず、ジャマイカのサウンドシステムの文化に影響は受けていると思う。

サウンドシステムという文化についてのざっくりした流れの文を大学時代に書いたので、こちらで。


“カリブ海にポツンと浮かぶ島ジャマイカで生まれた移動式の仮設ディスコ『サウンドシステム』

かつてカドリールバンドが村々で果たしていた役割を引き継ぐ形で、1940年代初めごろに生まれ、いつの時代もジャマイカ音楽の発展の中心地になっている。

もともと、サウンドシステムとは、娯楽の少ないジャマイカ式の大衆娯楽で、音響システムを設置してレコードのプレイやそれに合わせたマイクパフォーマンスを大音量で楽しむ興行スペースである。音響システムを所有しているクルーは、知人の家の庭や駐車場、街角に赴き、音楽を鳴り響かす。

そんなサウンドシステムの文化は、クルーの競い合いにより変遷を遂げてきた。スピーカーはどんどん高く積み上げられ、オリジナルの音源(ダブプレートと呼ばれるもので、アーティストに自分たち用に歌い直してもらったり、トラックを違うものに変えたりして完成する)は毎晩のように流れる。

そんな文化はいつの日か海を渡って世界中に上陸した。

ジャマイカ移民クールハークは、ニューヨークのサウスブロンクスでサウンドシステムの文化を用いて、ヒップホップの礎を築いた。当時のロンドンでは、社会から遠ざけられていたカリブ系移民が自分たちのコミュニティーを作るために、地下や自宅でブルースパーティーなるものを開いた。コロンビアのカリブ海沿岸部では、サウンドシステムの文化がピコと呼ばれる音楽文化を生み出した。

ツールとしてサウンドシステムを扱うことにより、新たな出来事が起きているのだ。”


この文章を書いた後、実際に現地で暮らしてみて、サウンドシステムはどこでもちょっとした空き地やちょっとした店先の庭で鳴らし始めるし、そこに近所の人が集まって耳元で大きな声でしゃべくったり、みんなそれぞれが思い思いに踊り散らかしたりしている光景を何度も見た。コロナウイルスの影響で国中に夜間外出禁止令が出ても、いわゆる貧困地域ではトタンに囲まれた通路の少し道幅が膨らんだ場所でパーティーをしていた。

ただ、スピーカーや音への追求は無くなっているように感じる。みんな市販で売っているどでかいスピーカーを使っているだけでどうにも低音が物足りないし、中音がでかいだけで何とも味気ない。

そして、長年サウンドシステムを所有し、改良を重ねてパーティーを開催し続けているところはやっぱり良かったりする。

あれ、昔は良かったみたいな話になってきちゃったので、ここらでやめときます。そんなことないので。

とりあえず、どこでも音を鳴らしてパーティーの場を作ってしまう身軽さとスピーカーをいじって低音や高音を強くしたりする職人的性質に惹かれる。



(なぜスピーカーを作るのかの話で)あと、人々の生活に音楽が溶け込んでる光景をみるとテンションが上がる、というのもあるかもしれない。ジャマイカの100円くらいで乗れる人パンパンのバスでは、大体がバスのスピーカーを改造して音割れした大音量で流行りの音楽を流していた。同じくジャマイカで、高速道路の路肩に明らかに車の故障が原因で停車してしまった人たちが、途方に暮れているのかと思ったら車のスピーカーを大音量にしてすぐさまにパーティーを始めていた。ジャマイカの日本食レストランで働いていたとき、厨房のジャマイカ人たちは毎日ラジオをつけいていて、流行りの曲に毎回毎回リアクションをとっていたし、少し離れた洗い場では女の子二人がyoutubeで音楽を聴きながら艶かしく踊っていた。インドの北の方の山奥に行ったとき、往復12時間の車中にはインド人ドライバーの趣味であろう宗教的で足踏みの音?や手を叩く音?

みたいなのがずっと刻まれている音楽が流れていた。(いまだに何の音楽だったかは謎である)日本でも、高校生3人組が自転車に乗りながらポケットに入れたスマホから音楽を流しているのを見ると、やっぱコレだよなってなる。

生活の中に音楽がしっかりと存在している光景にもっと出会うためにジャマイカに行ったし、もっと出会いたい。



こんなことを考えながら今日も生活不用品をスピーカーにするためにスピーカーの解体に励みます。

閲覧数:28回2件のコメント

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2 comentarios


人々の生活のなかに音楽溶け込んでる光景でテンアゲわかります…! 私は、どうして毎日音楽ないと生きていけないのかなって考えたことありまして、私的暫定一位は ------常に不安でいっぱい。精神のリズムが不安定だから音楽でそのリズムを整えてるんだ理論------です☺︎

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Contestando a

なるほど!

たしかにまったくの無音だと脳内が思考でパンクしそうになったりして焦って音楽かける、とかやります。もっとヒトにとっての音楽の必要性とか調べたくなりました。

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