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執筆者の写真Miyu Kuroki

グイッと呑めてしみじみ来るもの



迷っている。悩んでいる。

素材はそろったのだけど、どう料理しようかな…。

とりあえず体を動かせ!全身で考えろ!というお告げが直感に降りてきたので、11月の中間公表に向けて空間を作りながら要素を考え中…というところ。


技能実習生のNさんに密着して取材をする中で、「日本」が押し付けている「清く正しい技能実習生」

の姿なんて、どこにもないんじゃないかと思う。

時に愚痴をこぼし、頑張ったり頑張らなかったり、伸びたり縮こまったりしながら優しかったりわがままだっだりするNさんは、将来のため故郷に家を建てたい。


Nさんの「上手いやり口」は力をフッと抜くところだ。力の緩急が、とっても上手い。

Nさんは非常に几帳面で、ふっと梱包をお願いするとこれ以上ないほど美しい仕上がりであるのだし、鞄一つとっても何年も新品のように使っているような丁寧な一面があると思えば、気を許された?(と私は思っている)頃に「エ〜」なんて言って、わがままを通すのが上手かったり。良い加減に「いいかげん」なのである。

「技能実習生」に取材したいな、なんて思って始めたけれど、今やただNさんの人柄に惹かれて「人間」に取材しているばかりだ。


Nさんの、うなぎの尻尾を捕らえるような不思議に捉え所のない、だけれどたまらなく惹かれるようなあの人柄と身のこなしをユーモラスに作品化したい。


ところでNさんは、私の作品に登場できない。

Nさん曰く「会社に見つかると後輩に迷惑がかかったり、インドネシア人の印象が悪くなっちゃうから」。

Nさんは私の作品の主役であって、不在の存在だ。

Nさんの周囲を強く書き出すことによって、対比的にNさんの空白の存在感が強く打ち出されれば良い。


私が「技能実習生」に取材をしたいと思ったきっかけがある。

正月だった。めでたさと歓談のなごやかなムードの中で、お手洗いから戻るとドッとテーブルが沸いていた。

「技能実習生が犬を食った」

正月の座は、その話題で沸いていた。

私にも一通りその話の説明がなされて、「笑えるよね」と振られたけれども、私は苦い思い。

技能実習生が犬を食ったのかはわからない。ただ「工場の裏の犬が行方不明になって、その工場の技能実習生が中国出身であったからきっと犬を食ったんだ」なんていう、そんな話。

正直に言って、笑っている人たちをひどく軽蔑した。呆れるような、恥ずかしいような。悔しい。


ほぼおんなじ話を、その座にいた人から別の機会に聞いた。

その人の勤める工場でも、犬が消えた。それはスリランカ人の技能実習生が食ったんだと。


(犬を食うこと自体にも様々な意見があるけれども、犬を食うカルチャー自体を否定しようと思わない。ただ、根拠もなく「犬が消えた」=「技能実習生が盗んで食った」と考える構図、そしてそれを笑う感覚を問いたい)


私の故郷は日本で三番目に外国人が多く暮らす三重県だ。上の話は、その三重であった話。

三重県で私がいたコミュニティー(と言っても狭いけれど)の空気感は、確かに上のエピソードそのままの感じだった。「外国人」は異質で、不気味で、「日本人」の我々には関係ない存在。そんな空気があったと思う。


私自身、予備校の近所にあった日本語学校の入っているアパートの自販機に買い物へ行くとき、南アジア系の人たちがアパートから出てくるたびに漠然と「怖い」と思っていた。だけれどあの時、「あの人たちが普段何を食べているのか」という情報があったらどう思っただろう。「なぜ日本に来たのか」ということを知っていたらどうだっただろう。


作品を作るという過程がある意味、わたし自身の「偏見を映す鏡」であって欲しくて、実際日々ハッとさせられている。鑑賞者にもそうあって欲しいな。

「作品を通して技能実習制度についての意見を訴えたい!」という大きな意思はまだなくて、ただ私がある技能実習生を観察して思ったことの備忘録的な立ち位置として作品を作ろうと思っている。


見る人にはただ、「ある技能実習生」の人柄が伝われば良い。


「ユーモア」にはこだわりたくて、なぜなら私の「技能実習生」にまつわる制作の根底には「成仏できないような悲しみ」があるから。

実は上のエピソードとかコミュニティって、主に家族や親族の中であった話なのです。だから一層悔しい。

私は悲しかった。気持ちのつながりがあるような人と私の間にも大きな分断のようなものがあるような、だけれど私の心も実は地続きのような。そして本当に口惜しい。


悲しみを悲しみのままで出すと苦くて取り入れられないけれど、ユーモアで包むと良いお酒のようにグイッと呑めるものだと思う。だけれど喉元を過ぎるとき、くらっと悲しみが染み入るような。


そんな作品にしたい。


黒木美佑


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