「私がノンキ症ですか。ああ、そうですか」
ああ、という言葉に含まれる感情。安堵と、ひと匙の喜びと、絶望。
しばらく他者に取材することを行なってきたから、自己にもとづいて何かを表現したい気持ち。
(いや、ココを突き詰めると他者も自分もないのかも)
今、自分の中で一番強力なのは病のことなんじゃないかと思う。
六畳間ばかりの診察室で、先生は「障害である」と言った。
父はひどく動揺して、先生が付箋に書いてみせた物々しい病名を見てはそうですか、そうですか、と言った。診察の最後、父はその青い付箋紙を欲しいと言って、財布にしまい込んだのを覚えている。
その病は「障害」の名なだけあって、今でも時々ひょっこりと顔を現す。
だけれどしばらく障害とご無沙汰していた頃、私はピンピンとしていた。
いや、ピンピンとしすぎていた。
あるときより月に何日間か、狂わんばかりに泣き叫ぶようになってしまった。つい先日までは何でもできたのだし、世界が薔薇色に優しく見えたはずなのに、唐突に天が割れんばかりの心地になる。
縮こまって、転覆して横転して、身悶えするとフッと憑き物が落ちたかのようにケロリとなる。もとより、悲しいことなんてなかったのだ。なのに、凄まじい悲しみに翻弄される気味の悪さ。
私は「普通の子」だった。
知的障害を持つ弟は感情が抑えきれず、毎日内外構わず暴れた。弟にぶたれ、蹴られて悔し涙を流す私に決まって掛けられた言葉。「我慢して。あなたは『普通』の子なのだから。」
「普通」の子だから悔しくても飲み込んだ。
投薬が始まり、初めのうちは薬を飲むと気分が平らになる心地がした。
だけれど、次第に効かなくなる。薬が強いものになる。
その度に、私はどんどん「普通」から離れてゆくような、さみしい心地がした。
まるで、『ここはお国を何百里……』なんて気持ち。
鬱の悪夢はいつも同じ内容。家族のこと。お金のこと。
生命保険金を、ぼんやりと考えて日を過ごした。
乱高下する激しい感情に耐えかねて泣いた。上がる時は、不吉な未来がありありと予言されているようで恐ろしいのだし、下がっている時は、どこまでも転落してゆく心地。
「病気」だと抑え込まれる自分の一面があるのだけれど、一体どこまでが「病気」なんでしょう。
……なんて、そんなことを考えていたらヘンテコな病を治療するハナシを思いついたのです。
「ノンキ」を治療するために投薬を受けて、いろいろな療法を施される人のハナシ。
(私も元来ノンキだから作りやすい)
正直、今焦っております。明後日から、お客さんが入るのだから。
泥団子を作ろうと張り切って、水を入れすぎて固まらないみたいな感じ!
どないしよう……
一人で抱え込んでもいいものは生まれないので、ドンドン外に出してゆきたい。
くろっき
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