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執筆者の写真中村邦生

にわとり雑記

鶏、にわとり、庭鳥。ニワトリについて。

今回、こんだけデカデカと鶏押し感でいくのだから、多少は鶏の習性とかそういうことについて考えておこーっと。的なメモです。


僕がつい先月まで働いていた西村組では、5月ごろから現場で烏骨鶏の卵を買って孵化させて育ている。現場事務所すぐ横に、これまた解体をして出た廃材で簡易鶏小屋を作った。



彼らは実によく食べる。歩きながら基本食べる。そしてよく糞をする。その辺にはなせばあたりの雑草はたちまちむしり取られる。パーマカルチャーなんぞでも重要な役割を果たす鶏です。

鶏糞入りの土は野菜が育つための実に良い土壌だし、雑草はどんどん食べてくれる。彼らの活動循環が、僕らが必要とする循環にマッチする。オマケに卵も産むし肉もいただける。なんとありがたいのでしょうか。

それから、オスは本当に朝昼に鳴くんです。コケコッコー、と。まさしく想像するアレです。

なかなかうるさいですネ。


彼らは集団行動をします。先に倣え精神で、先輩鳥か、マァ他のヤツが行った方に行くし食べたものを食べる。寒い時にはよりそっているし、砂に潜るときは複数匹で。



しかし本当に何でも食べます。こと葉っぱに関しては竹の葉みたいによっぽど硬いものでなければなんでも。このなんでも食べて消化して、排泄をしていって、それが他の何かに作用するっていう循環の重なり。人間と鶏それぞれがもつ循環の重なり。


しばふくんも0円でおもしろいものってか、それすてる!?みたいなものをうまく見つけて集めてるし。結局、だんだんいろんなものがゴミじゃなく見えてくるんですよネ。そしてそれがしっかりと実感として、ゴミじゃない魅力的なものだから拾ってしまう。集めてしまう。


鶏で言うと、それ食べるの!?みたいな人間からすると食べられないいわゆる雑草野草を食べて消化する。タフだな。


ほんと、これ捨てるんだ!うへぇ〜!って驚くものはよくある。

捨てるってのもお金のかかること。現場で出た廃材、木材とかを処理場に搬入するとき毎回、なんなんだこれは、と違和感を感じながら。作業作業。燃料にだってなるのに。

捨てるなら、少し労力はいるかもしれないけどやっぱり誰かにあげるのがいいよナぁ。

こちらからすると、わざわざ捨てなくても、、、、ってことはしばしば。

(解体とか建築の現場とか、経営しながら生きて行かなきゃいけない現場になると、確かにいちいちそんなこと言ってられないってことで、木材でもなんでもバンバン捨てるし、マァそう言うスイッチも大事っちゅーか、また別な話になっちまうな。)



urban chicken 都市のニワトリ。都市の中で、自分の食べるもの(消化するもの)を見つけて、排泄(肥料)していけるのか、みたいな。都市型狩猟採集か。結局そういう話になってしまうナ。うすっぺれ〜


オルタナスは、さしずめ鶏小屋。そして肥料を受け入れる土壌。オルタナスから発せられる音は朝昼の鳴き声のよう。



展示中だけどオルタナスの音量調整必要っすね〜。近隣




くにお

閲覧数:15回1件のコメント

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1 Comment


折出裕也
折出裕也
Nov 08, 2021

なるほど、なぜか チキン=臆病者 のイメージでばかり考えてた。

何かを忌避してたどり着く作品、みたいな。


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